子供の頃から、アイドルのダンスを真似して歌ったり踊ったりすることが好き。
2年前からアイドルの曲のダンス動画を撮って人前に晒している。
今年の3月にはチームでダンスを踊り、ビルボードのステージに立った。
再来週には「アイドルダンスレッスン」を開催する。
そんな私が
「私にダンスは似合わない」
ずっとそう思っていました。
なんなら今でも思っている。
と言ったら、みんなはびっくりするだろうか。
強く思っているわけじゃない。
「だから私はだめ。」と思ってるわけでもない。
「そんな事ないよ!」という言葉をもらうためにこんな投稿をしたわけでもない。
そして、 「ダンスを踊ることが似合う、似合わないなんてことは無い」 「人目を気にせず自分のやりたい事をやればいい」 という事だって充分分かっている。
分かっているから、私は今日までアイドルダンスを踊ってこれたのだ。
セルフイメージの作られ方
私が「自分にはダンスが似合わない」と思うようになったきっかけはいくつかある。
例えば、学生時代のスポーツテスト。
反復横跳びが予想外に速くて笑われる。
例えば、恋人とスポッチャに行った時。
相手が何度変わろうが 「運動できない子だと思ってた」と言われる。
誰かにアイドルのダンスを踊るのが好きだと言うと、 「え、踊れるの???」 と訝しげな反応が返ってくる。
etc…
こうして言葉で淡々と書くと、心が傷ついた思い出に聞こえるかもしれない。
私の周りには失礼な人達が沢山いると思わせてしまうかもしれない。
でも、そうではない。
私にとってこれらの出来事は、周囲の人達との笑える思い出であり、なんなら愛を感じた瞬間でもあり、決して苦い記憶ではない。
だけど、それはそれ、これはこれ。
そう考えるところは、私の良いところなのか悪いところなのか。
こういった体験を得意の拡大解釈癖とともにひとつひとつ積み重ねていくことで、気づけば
私って運動音痴に見えるんだな
私のイメージは、ダンスとは程遠いところにあるんだな
という自己像を作り上げてしまいました。
客観視と自我の間で
「ダンスなんかできなさそうな雰囲気なのに、実は踊れる!って、めっちゃ良いギャップじゃあぁぁぁん!」
その発想も、あったはあった。
だけど、ダンスを習ったこともない、ただ家でアイドルの真似をして踊っているだけのお遊びダンスに自信などあるわけもない私。
客観視のできない痛い大人になるのはごめんだと、「私にダンスは似合わない」 という自己認識を小脇に抱えることにしたのでした。
ただひとつ幸いだったのは、私が「好きなことはやらなければ気が済まない」「やりたい事を完全に諦めるなんて絶対無理」な性格だったこと。
「私にダンスは似合わない。でも、好きだから踊るんだ。」
ただこの気持ちだけで、「似合わない」に楽しみや未来を奪われずに済んだのだと思う。
諦め悪く生きる
さて。 1番言いたかったのはここから。
「私には似合わない。」
というこの気持ち、実は多くの人だって抱いたことがあるんじゃないだろうか。
「似合わない」にはピンと来なくても、
「私なんかがこんな事やったら笑われるかな」
「私なんかがこんな事やったって無駄」
「こんな事やるのは、なんだかいけない気がする」
「こんな意味のない事やってる場合じゃない」
「失敗したらどうしよう」
「下手で恥ずかしいからやめておこう」
という気持ちなら身に覚えがあるかもしれない。
自分の願いや希望、「やりたい」を否定する言葉は、いつだって、いくらだって私たちにまとわりついてくる。
わざわざ恐怖や面倒くささなんて乗り越えなくたって、恵まれたこの世の中では生きていける。
「やりたい事はやった方がいい」なんて言葉は、いい加減みんな聞き飽きてる。
なんて書いてしまったもんだから、良い感じのこと言って締めたかったのに、ちょっと怪しい雲行きになっている。
そう、あれもこれも、 「自分には似合わない。」 そう思って生きていく方が楽なはずなのに。
その道だって、十分幸せなはずなのに。
それなのに、何で私は、人は、こんなにも諦めが悪いのだろう?
この問いに対する私自身の答えは、
自分とこの世を思いっきり楽しみ尽くして死にたいから。
答えはきっと人それぞれで、私とは全然違う理由を持つ人も沢山いるでしょう。
でも、理由はなんだって良い。
「我こそは、諦めの悪い人間です!」
「何度諦めようとしても諦めきれないの!」
そんな人たちと、楽しみもがきながら人生を送りたい。 そう強く思う、最近でした。
私の諦めの悪さが転じて転じて開催されることになったアイドルダンスレッスンは、6/20(木)の11:00から、梅田にて。 楽しみ。
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