少し前にパートを辞めた私。
子供の行事、子供の体調不良、それを看病しているうちに自分に降りかかる体調不良、緊急手術、術後の薬が合わずに体調不良……などなど、働いていた数年のうちに色んなことがあったけれど、いつもこちらの事情に合った働き方をさせてくれて、本当に良くしてもらいました。
これまでの人生で1番長く働けた場所。
大大大大大感謝。
涙が出てきた。
が、今日の本題はそこではなく、パートを辞めて、久しぶりにジェルネイルを始めてから気づいた事を書きたいのです!!
でも、打ってたら、少し感謝の気持ちを書きたくなってしまって。
ネイルを始めて起きた変化
働いていたパート先は、外見全て自由だったので、別に働きながらもネイルはできた。
けれど、私がさせてもらっていた仕事は、ある日突然爪を必要とする場面に出くわすことがあって。どんな仕事。
それで何千円も払ってしたジェルネイルが取れてしまうような事があったら嫌だな、と避けていたのでした。
パートを辞めて、なんだか色々気分転換したいモードだったこともあり、そのひとつとして浮上したのがジェルネイル。
インスタで、デザインが好みで、ネイリストさんのお人柄も自分と合いそうな気がする、と思ったお店に早速予約しました。
ネイリストのお姉さんが、
「ネイルを長持ちさせるために、爪にオイルを塗るようにしてくだいね。なんならハンドクリームでもいいので 」
と教えてくれたので、素直にその日から開始。
それを実践していくうちに
「せっかくだから、爪のついでに手のケアも頑張ろ。」
と、今までより真剣にハンドケアに取り組むようにもなった。
「アトピーだし、ちょっとしたことですーぐ乾燥して、すーぐ荒れるんだからぁぁぁ。」
と投げやりになっていた気持ちには別れを告げて、元々持っていた皮膚科の薬と並行しながら、ハンドクリームやハンドセラムを購入して試す。
手を水に濡らす度に、クリームを塗る。
手を濡らしていなくても、乾燥を感じたら、塗る。
己の飽きっぽさ、面倒くさがり屋の芽が伸びないように、色んなハンドクリームを色んなところに置いておく。
そんなことを繰り返していたら、手荒れやカサつきが以前よりだいぶ治まりました。
ありがちなセリフだけど、本気を出せば、人って変われるんだ。
ただ、「変われないのは本気を出していないから。」と言い放つ人にはなりたくない。
放置される優等生
そして、真剣にハンドケアに取り組むうちに、ふと気づいた事があったのです。
それは、
これまで手指や爪を褒められることがちょこちょこあったこと。
手荒れ以外で、手にコンプレックスや悩みを抱いた事が無かったこと。
おや?手って私の推しポイントのひとつなのかもしれない
晴天の霹靂!!
今まで何度も
「指が長くていいなぁ」
「爪の形が綺麗でいいなぁ」
と言われた事があったのに、
「嬉しいけど、そう?」
と、良くも悪くもあまり自意識が芽生えなかった。
だから、こんなに何十年も見落とし続けることになった。
自分の推しポイントのひとつを。
自分のわりと恵まれていた部分を。
ヤンキーみたいな困ったちゃんは、ちょっといい事したらすぐ褒めてもらえるし、先生もなんだかんだ見ててくれる。
だけど優等生は、「まぁこの子は大丈夫だろう。」ってほっとかれる、そんなあるある話を思い出した。
ごめんよ私の優等生おてて。寂しかったね。また涙。
努力も注目もされる困ったちゃん
例えば、それこそ“肌”については、子供の頃からアトピーなので、コンプレックスに感じることが多かったのだよね。
見た目が気になるというだけではなくて、実際生活に支障が出る事も多々ある。
だからこそ、自分に合う薬や化粧品、生活の仕方を求めて長年彷徨ったし、肌が綺麗な人、アトピーのない人を見て羨んだし、気づけば色んな“努力”をしてきたと思う。
アトピーに限らず、私みたいな人は沢山いると思う。肌の悩みは解決が難しいし、気が重くなることも多いね。
困っている事は、改善したり解決したくて色々な事を試して試行錯誤してみるもの。
そして、試行錯誤期間は、その対象にずっと注目してるってことなんだと思う。
困ったちゃんには、目をかけ、手をかける。
それはそれで意味があるし、それはそれで大事。
私も、今までの紆余曲折があったからこそ、自分に合うものが選びやすくなったり、昔より肌の状態も落ち着いてることが多くなったから。
あれこれともがいて努力してきた分、たまに人から褒められることがあるとすごく嬉しいし。
なんだけど、コンプレックスや悩み事に向き合いながらも、
「特に何も気にしてないや、困ってないや」
っていう、自分の“優等生部分”に手をかける事だって、同じくらい大事かもしれない、って思った。
“何とも思っていない部分”
“困っていない部分”
それはもしかしたら、気づいていないだけで、なかなかのポテンシャルを秘めているのかもしれないから。
双方に愛を
結局何が言いたかったのかと言うと、
困っていないこと、目がいかないこと=長所や、何も気にしなくていいくらい恵まれている点
なのかなぁ、ということです。
そして、コンプレックスや、悩み事、困り事は、どうにかしようと頑張る。
そうして得るものって沢山あるし、やれば何かは変わるから、そこに注力する事も絶対に無駄にはならない。
けれど、“特段困っていないので、興味が薄くて放置気味”な部分には、実は自分の良さや可能性が秘められているってこと、この度我が身を持って体験しました。
ポテンシャルがあるから、それまで適当に扱っていた分、ちょっと手をかけるだけで分かりやすい効果が得られたりしてね。
今日は書かなかったけど、手だけじゃなくて髪の毛、その他のことでも同様のことを体験済み。
自分の中の、困ったちゃん、優等生ちゃん。
それぞれに合った方法で、どちらにも、目をかけ手をかけていってあげよう、と思ったのでした。
余談
文中に書いた、
「指が長くていいなぁ」
「爪の形が綺麗でいいなぁ」
について、ちょっと思う事があって。
色々突き詰めると、何で指の長さに注目しなければならないんだろう、爪の形が綺麗ってどういうことなんだろう、汚い形なんてあるのか、って話で。
この誉め言葉の続きには、「私は指短いから」とか、「自分の爪の形が嫌で」とかって言葉が続くこともあるから。
私自身も、
「こういうスタイルいいなぁ」って思ったり、
「こうこうこんな所がいいね!」って人に言ったりする。
褒められたら素直に嬉しいから、「いいね!」「素敵だね!」って言葉はこれからも言いたいし言われたい。
けれど、なんかこう、世の中の「これが正解の素敵さ」みたいなものが無くなったらいいなぁ、とは思ってて、自分で書いておきながら、「自分の手は推しポイント、長所って言ってるのも、本当の本当は違うんだよなぁ。」と、ちょっとモヤモヤはしている。
でも、他の分かりやすい良い書き方を思いつけなかった。
このパターンはこういうところが素敵で、あっちのパターンはこんな良さがあって、みたいな。
自然にそう思えることが、どんどん増えてったらいいなぁ、と思うのでした。
まぁでも、それはそれで置いておいて、今まで私の手を褒めてくれた人達に、素直にありがとうの気持ちです 嬉しかった
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