「死にたい」と思ったことがある人は

あけましておめでとうございます。

今年は心がそわそわと落ち着かない幕開けでした。
そうは言っても、何の困りごともない私がそわそわし続けていても意味はない。
自分のためにできることをして、そんな自分が誰かのためにできることをしながら、いつも通りの日常を送ろうと思ったのでした。

さて
昨年末、とある人からもらった言葉に衝撃を受けました。「これは私のノートに独り占めしていてはもったいない。」と思ったので、ブログに書いてみるね。
特に、何度となく「死にたい」と思ったことがある人へ。

目次

念願の初対面

私の実家は島根。夫の実家は広島。
去年の年末、夫の実家に帰省しました。その際、ずっとずっと会いたいと思っていた方のひとりと初めて会うことができたのです。

その方との出会いは、とあるオンラインコミュニティ。
そのため、テキストやZoom、SNS上では何度もお喋りやメッセージのやりとりをしたことがありました。
だから、リアル世界では初対面だったとはいえ、「はじめまして!」というよりは、「わぁ~お久しぶり!」みたいな気持ちで。

私の人生、こうしてネットのおかげで出逢えたご縁たちに包まれていると言っても過言ではない。
出会いはリアルでも、その後仲良くなれたのは、SNSで繋がって、互いの発信内容に共感や好感を持ったから、という事も多々。
情報疲れをすることもあるけれど、ネットやSNSが発達していない世界に生まれていたらと思う度にぞっとするのでした。

お相手の方がいくつかお店を探して下さって、実際に訪れたお店はこんなところ。お店探しも予約もありがとうございます!!
ダイニングバー L.d.k 広島県広島市の五日市駅のすぐ近く。
外観見てまず「激タイプ!」と思ったけれど、料理もどれも美味しくて…!!
頼んだお酒の名前もすっかり忘れてしまったけれど、こちらも美味しくて、お会計のリーズナブルさにびっくりして、

また広島帰省する時、誰かと飲みに行くふりして一人で来ようかな

とほんのり考えてしまうくらい、素敵で美味なお店でした。

料理の写真全然撮ってないし、日にちが経って「めちゃ美味しかった」以外の記憶が薄れて、何一つ実のあることが書けなかったわ。
本題じゃないからまぁ良かろう。

「死にたい」と思ったこと、ある?

ところで、今これを読んでいるあなたは、人生で「死にたい」と思ったことはありますか?

私は、ある。

自分の生を否定することで生きていける

初めて思ったのは12歳、小学校6年生の時。

その気持ちは何か月か続いて、でも実際に行動に移して苦しむのも怖いし、苦しまずに行動に移せる方法もよく分からないしで、一人でしくしく泣くことを続けて毎日をやり過ごしていました。

周りを見渡してみた時、自分と同じ気持ちを抱えている人は、いないような気がした。
いや、傍目にはわからないだけで、いるのかもしれない。
だけど、いたとしても、その数はそんなに沢山ではないような気がした。
気がしただけだから、今でも正解は分からないけれど。

なんで自分ばっかりこんな出来事が降りかかるの

なんで自分ばっかりこんな気持ちにならないといけないの

そんな気持ちと同時に抱いていた、生きることをやめたい気持ち。

いつの間にか「なんで」にぐるぐる巻きになっていて、それを振りほどくために、

両親揃ってるし、学校に行ける環境だし、食べ物に困ったりもしていないし、普通に考えたら超絶恵まれている。
悲しいことがない人だっていない。
なのにこんな事思うのは、自分の心が弱すぎるからなんだな。

「何で理由もなくこんな悲しい、嫌な出来事が降りかかるの?」
と思っていたことに関しては、きっと私という人間の根本が“悪”だからなんだろう。
のうのうと楽しく生きていてはいけないくらい“悪い人間”なんだろう。

と思うようになっていきました。それが13歳の時。

今なら「そんな事ないよ!」「拡大解釈も良いとこ笑」って思う。
タイムマシンで当時に飛んで行って、毎日毎日身も心も自分に寄り添ってあげたい。

だけど、そんな素敵マシンはまだこの世にはない。

生きたくもないけど死ぬこともできない、自分の力で現状を変えることも難しすぎる、13歳。
なんとか日々を生き抜くためには、こんな風に「お前は本来、生きていてはいけない人間なのだ」と結論づけて、哀しいパラドックスの中を歩き続ける道しかなかったのでした。
その道は10年以上続いた。

涙の再会を果たした去年

まぁこの話で何が言いたかったというと、私は「死にたい」と思ったことは幾度となくあるよ、ということ。

けれど、24時間365日10何年ずっとそうだったわけではなくて、死を考える波はありつつも、波と波の間が大きくあいてる時期もあったし、辛くても死という方向性には考えずに済む時期もあったり。

そのうち、子供を生んだことを機に、カウンセリングに腰を据えて通い出したり、一般的な人間の心の扱い方、自分の心の扱い方がだんだん分かってきたり…などしたことで、特にこの4、5年はそういう気持ちが湧いてくることはありませんでした。

でも、去年は色んなことがありすぎて、ついにそれと再会してしまったのだ。しかも何度も。

ただ、昔と違うのは、「自分の場合、死にたいと思う時間にはいつかは一旦終わりがくる」などと自分の傾向が掴めていること。

そんな気持ちの時にしたら良い事は、大体なんとなく分かっていること。

そして、「死にたい」が現在進行形のどん底、ではない時に、1度だけ、…とか言って、2度3度だったりして。素直にその時の気持ち、そう思った過程なんかを、ごく少人数しか見られない場に綴ってみたこと。
心配かけたくはないので、フォーカスして書くのは、死を考える気持ちじゃなくて、そこに至った思考の過程ね。そして、「死にたいと思うことはあっても、どうせ私は生きる」という意味の言葉もつけた。はず。

そんな事をしていたから、今日リアルで初対面したこちらの友人も、私が死を考えたことがあること、今年は死と久々の再会を果たしてしまったことも知っておられるの。

死を思う人、思わない人

死を思わない人たち

お酒とともに談笑しているうちに、話題は「死を思う事について」になった。

そこで衝撃だったのが、彼女が

私は死にたいと思ったことがない

と言ったこと。

信じられない人がここにもいた!

それが私の正直な感想。悪い意味じゃないよ。

というのも、私は年齢を重ねていくうちに、

大体誰もが、少なくとも1回や2回や3回や4回や5回くらいは死にたいと思ったことがあるのだろう

と思うようになっていたから。

具体的に誰かとそんな話をしたことはあまりないけれど、少しはある。そして、うつ病になったり、ODする友人はいたし、ネットを見れば、生きることに絶望してる人はすぐに見つかる。

だから、「死に向かいたくなる」、これは大体の人が抱える気持ちで、気持ちの存在自体は大したことじゃないのかも、と思うようになっていたのです。

ちなみに去年は、そんな“信じられない人”を別の機会でも見たことがありました。
だから 「信じられない人がここ“にも”いた!」と書いたのです。

それも身近な人で、「死にたいと思ったことがない」とSNSの投稿に書かれていたの。そこには共感するコメントも書かれていて、その時もまぁびっくりしたよね。

どういう人生を歩んだら、「死にたい」に近づかずに生きてこれるんだろう

ただただ不思議で仕方がありませんでした。

“死を思わない人” から見えた “死を思う人”

話を年末に戻そう。

「死にたい、と思ったことがない。」

という言葉の後に彼女が言ったこと。

自分はそう思ったことがない。

けれど、周りにいた、そう思う人、そこに向かった人を見て感じたのは、自分の人生を真剣に生きている人たちが、死を考えるのだ、ということ。

私はそこまで真剣に考えながら生きてこなかったから、死にたいと思ったことがない。

この言葉を聞いて、さっきよりもさらに大きな衝撃が、私の中を貫いた。

だけどそれは単に雷に撃たれたようなものではなくて、自分をかたく覆っていたものが割れて、溶けだした何かが、温かく、優しく包んでくれるような感覚。

何度も会いにやって来る「死にたい」の気持ちは、私が悪い人間だからでも社会不適合者だからでもなく、ただただ懸命にこの命と、この生と真正面から向き合ってきたから、ただそれだけなのかもしれない。

一生懸命生きているからこそ出会える、レアキャラと巡り会えただったのかもしれない。

「死にたくなるのは自分が弱くて、悪くて、存在してはいけない人間だからなのだ」と丸めこまれていた自分が開放されて、「死を思うのは誰だって通る道で、大したことではないのだ」と楽になった気がしていたのは、ただ自分を透明化しているだけだったのだと気づかされました。

それぞれの生

ただ、死にたいと思ったことのない人は何も苦労をしていないのか、真剣に生きていないのかというと、決してそんなことはないでしょう。
だって、周りの「死を考えたことがない人たち」だって、懸命に生きていることを私は知っているから。

彼女たちの言葉を通して気付かされたのは、苦しかったり辛い時、悲しい時に、死という選択肢に向かおうとする人と、そうではない選択肢に心が向く人がいる、というシンプルなこと。

そして、「死にたいと思ったことがない」という人が自分の身近にちらほらいてくれるのは、なんかいいな、って思う。
反対に、「死にたいと思ったことがある私(たち)」が所々に存在していることだって、なんかいい。のだ。

色んな「生」が混じり合って、私たちは生きているのだね。

いただいた広島お土産

「「死にたい」って何⁉意味わかんない!」
なんて馬鹿にせず、自分の視点から思いを馳せる。そして、気持ちを真っ直ぐに伝えてくれる。
私はなんて素敵な人と巡りあえたんだろう、と胸が熱くなった夜でした。

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この記事を書いた人

ちぃ 島根出身 兵庫県在住 91年生まれ

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