今日のブログは、2022年の夏(当時30歳)に書いたものです。
当時3投稿に分けてInstagramにupしていたものをまとめました。
たかが下着、されど下着。
あなたにとって、下着とは、自分の身体とは、なんですか?
下着を買ったら自分への「好き」が増えた
ひとつめの話
きっかけは友人の熱いプレゼン
先日友人と会った時に、一緒に ブラデリスニューヨーク に連れて行ってもらった。
以前、私の好きな美容家の方がここの下着を使っていると知って一度調べてみた事があったものの、下着にお金をかける精神のなかった私は、そのお値段にブラウザ即閉じして諦めたのでした。
~終~
でも今回は友人が
数ヶ月前に初めて買ってみたけど、
身体がすごく変わったから、もし良かったら一緒に行かない?
と誘ってくれたことだし、せっかくだからお供させてもらうことに。
今がチャンスな気がしたんだよね。
1人だと敷居が高く感じることも、誰かと一緒だと踏み出せるんだ。
当日、予約時間前のランチでは、熱いプレゼンで私の気持ちを高めてくれた友人。
木の温もりを感じるカフェで「乳の目指す方向性」という刺激的なワードを多用しながら、ブラデリスが私たちに与えてくれる恩恵や、自分の身に起きた素晴らしい変化を説いてくれる彼女の姿は、それはそれは輝いていた。
パッションって人の心を動かすよね。
私も、初ブラデリスがますます楽しみになった。
悩みは“可能性”から生まれる
お店では、綺麗かわいいお姉さんとのカウンセリングから始まる。
けれど、これまで私は自分の胸が下着ごときでどうにかなるなんて思えた事がなかったから、悩みや理想を問われても逆に出てこないのだ。
「どうやったら総理大臣になれるんだろう、なりたいのに!」
なんて思い悩んだ事がないように。
悩みって、少しでも実現できる可能性を感じてるからこそ生まれるんだなと改めて認識。
だけど。
よーーーく考えたら、あった。あったよ。
唯一昔から自分の中にあった悩みが1つ。
その悩みは妊娠出産授乳を経てさらに増した。
それでもやっぱり
私はこういう体型なんだ。
努力でどうにかなるものでもない。
って、求めないように、見ないふりしてたこと。
お姉さんは私の、
・諦めすぎてて悩みや理想が描けないこと
・でも唯一気にしてるポイントを思い出したこと
を優しく受けとめてくれた。
そして、今からの時間が私にとって、安心と希望の時間になるよう、身体や下着について、丁寧に説明してくれたのでした。
“可能性”の輪郭がはっきりすると変化を起こせる
その後採寸をして、今の私の身体に合う下着(ブラ)をつけてみると、
「まぁ!まるで下着モデルさんのよう!」
……とまではいかなくても、私史上1番最高な胸元がそこに表れた。理想系の第1歩みたいな。
「下着読者モデルオーディションなら行ってみても良いんじゃなかろうか」
くらいに思えて、めちゃ×100嬉しかった。
(ここでいきなり下着モデルさんのようになれる人も沢山いると思う)
自分に合う下着って、こんなにもポテンシャル引き出してくれるんだな。
数種類の形をつけ比べたけど、1番合ってるものをつけた時は特にわかりやすく、前述のような“私史上最高”が現れるからすぐに分かるのだ。
お姉さんも、「あーもう絶対にこれですね!!」と推してくれるよ🥰
ここから日々つけ続けていくことで、“今の私に合うブラ”も変化していって、理想の胸に近づいていくのだそう。
良いもの持ってたのに、
今まで気づいてあげられなくてごめんよ、私。
今よりも、
自分の胸を、身体を
好きになれるかもしれない。
こんな風に思わせてくれるブラデリスすごいし、
こんな風に思わせてくれる人柄と技術を持ったお姉さんすごい。
そんな気持ちが湧いてきて、気づけば用途別に計3着のブラと、手洗い用の洗剤を購入していました。
(いつか下半身アイテムにも手を出したい)
最近は、下着をつけてる自分がとても好き。
外すとまだ「おかえりよく知ってる私」って感じだけど、それは「理想を掲げる価値もない私」ではなく、「伸び代や可能性を秘めてる私」という認識になった。
今まではまともに目にも入れてあげてなかった部分が、「好き」になった。
今後どこまで変わるかはまだわからない。
だけどもし、万が一何一つ変わらんかったとしても、試してみて得られた事は沢山ある。
少なくとも、下着姿の私とこの心意気はこれまでとは違うのだ。
下着を買ったら“身体の所有者”に気付いた
ふたつめの話
常に他人のものであった私の身体
ブラデリスで下着を買ってから、自分の身体の秘めたる可能性に気づけて、
「下着をつけた自分の姿が好き!」
と毎日思えるようになりました。
と同時に、
今まで生きてきたほとんどの時間、
この身体は、私の身体であって私の身体じゃなかったんだ
ということにも気づいてしまった。
私の中で長い間、(顔も含めた)自分の身体というものは、“常に人目を気にして正解に近づけないといけないもの”でしかなかったんだな、と。
けっこうショック。(でも、良いショック)
正解の身体、不正解の身体
小学校2年生の時には、自分の脚に生えている毛を
「嫌だなぁ。なくしたいなぁ。」
と思った。
それは、毛があると不便とか不快とかそんなんじゃなく、「恥ずかしい」っていう気持ちからの「嫌だなぁ」だったことをはっきり覚えている。
そして今思えば、10代、20代の頃の自分の身体への認識や考え方のほとんどは、
・自分自身がどうしたいか
・自分自身が好きかどうか
…ではなく、
・テレビや雑誌、ネットから植え付けられた正解に近づけなければいけないもの
・正解が共有されてる同性や異性からの視線を気にしたもの
でしかなかったなぁ。と。
当時はそれが普通の事として生きてたけど、本当はとっても息苦しかった。
乱暴なまとめ方かもしれないけど、無意識下で「自分の身体は誰かのためのもの」とずっと思ってたんだからそりゃそうだ。
よく頑張ったね、と言ってあげたい。
私にも、私と同じような気持ちを抱えていた人達にも。
ちなみに少し話がそれちゃうけど、人目を気にする事や人の期待に応えようとする事は、それ自体は別に悪いことじゃないとも思っておる。
自分のアップデートの助けになったり、頑張る原動力や幸せを感じるきっかけになることもあるから、丁度よい距離感でうまく使えたら良い。
だけど、人目や人からの期待が自分の意志まで覆うようになった時、操り人形みたいになっちゃって苦しみや違和感が生まれるのだと思う。
女性の身体は誰のもの?
話を戻して。
妊娠、出産、産後を、一度体験した身としても思ったこと。
自分の身体が一つの命を育むというのは、神秘的で素晴らしい事である一方で、この体験によってもまた、「自分の身体は自分のためのものじゃない」という考えが無意識で強化されてる気もした。
っていうか
もっと言うと、
妊娠出産が可能な性に生まれているという時点で、「私の身体は私のもの」というはっきりした気持ちを持つことがそもそも難しいんじゃないかとも思った。
様々な場面で女性の身体が客体化され、「子供を生まなければならない」という洗脳やプレッシャーも0ではない今の世の中ではまだ。
(自分の意思と関係なく、ある日突然生理も始まるし)
そして歴史を振り返ってもさ、妊娠出産を置いといてもさ、身体の話は置いといてもさ、女性が「私が私であること」を主張して生きていけるようになってきた時間はまだまだ短いから。
今だってまだ転換途中だと思うし。
(逆に、私とは違う性別の人にはまた別の 「課されていると感じるもの」 「誰かのためのような自分」があると思う。皆が生きやすい世の中になりますように。)
…なんて事も考えた。ものすごく抽象的に書いたので、読んでくれてる人にはどこまで伝わるかな。
自分の性別を嘆いたり、不遇だと主張したいわけでなく、「こういう側面もあるんじゃないかな」と思ったこと。
異論は認める。
「当たり前」がやっと腑に落ちた幸せ
そんな感じで10代20代を過ごしてきたけど、私は今30歳。最近は
・“私”を生きる・自分で自分を幸せにする
・自分と仲良くする
ってのが己のテーマに登ってきたからか、今回ブラデリスの下着を買う理由に、“人目”が全然入ってこなかった。
昔の私だったら、絶対上位に“人目”がくい込んでいたよ。
もちろんそれが悪いって事ではないけどね。
でも、試着室で自分の可能性に気づかせてもらって、よりよい人生を過ごしていくために、
誰でもなくただ自分の幸せのために、私が私をもっと好きになりたくて払った数万円は、なんだかとっても気持ち良かった。
私の身体は、私のものだったんだ。
ブラデリスの下着をつけた「いい感じ」の私で、今日も元気に生きるぞぉ🧚
効率を手放して手に入れたもの
みっつめの投稿
手間をかける意味
ブラデリスの下着にチャレンジするにあたって、私の中で唯一不安だったこと。
それが、下着の手洗い。
それまではネットに入れて洗濯機にポイだったので、毎日毎日そんな面倒くさいことができる気がしなかったけど、
「1度でも洗濯機に入れたり、柔軟剤に触れたら✕」
とブラデリスのお姉さんから聞いたので、約1万円が1度の洗濯で水の泡になる恐怖をお友達に、毎日頑張ってみることに。
少しでも億劫な気持ちを減らすために、使い方が簡単な専用の洗剤もその場で買いました。
実際に始めてみると、思ってたより面倒なことは無く拍子抜け。
とは言っても、今までと比較すれば、多少なりとも確実に手間は増えてるわけ。
そんな日々を積み重ねていくなかでふと気づいた。
自分のために、自分が身につけるもののために手間暇かけるって、こんなにも幸せ度が増すんだということに。
これまでよりひと手間かかってるとは言え、複雑さや大変さは無いので楽しいし、いい香りに包まれた下着を干す時も嬉しい。
そして、そうやって大切に扱ってるものを毎日身につけると、自分まで大切に扱われてる気分になって、幸せ。
そして、自分に丁寧に接したくなる。
何でかわからないけど、そんな気持ちになれた。
自分を大切にする方法
「自分のことを大切にしよう!」
ってよく聞く。
だけど、それが難しかったり、上手くできない時代が私にもあった。
今だって本当にできているのかは謎だし、できていないとはっきり自覚する時もある。
そういう時は、自分が使うもの、身につけるもの、1つだけでも丁寧に扱ってみるのも良いかもしれない。
「手間がかかってわずらわしい!」と嫌になったら本末転倒だから、その時の自分ができる範囲で、ささやかなことをする。それを続ける。
そうやって“大切に扱いたいもの”が少しずつ身の回りに増えると、いつしか自分の事を大切に扱う時間も増えていくから。
“もの”ではないけれど、私は息子というかけがえのない存在の誕生をきっかけに、自分を大切にするとはどういうことなのか、少しずつわかり始めてきた気がする。
ノートに自分の気持ちを書く時間を大切にするようになってからは、私の人間性や気持ちを雑に扱う人からはさっさと距離をとろうと思えるようになれた。
こうして下着を大切にし始めてからは、「女性としての私」を軽く見たり傷つけてくる人に対しての嫌悪感も増したし、「人としての私」「女性としての私」のどちらにも誇り高い気持ちを持てるようになった。
自分にとっての大切なもの、大切な時間。
些細なこと何かひとつでもいいから見つける。
そしてそれを大切にし続ける。
そんなことの積み重ねで、いつの間にか自分のことも大切にできるようになるんだ。
“大切教”に追い詰められないで
でも、最後にこれだけ。
「大切に物を扱うとかに気が回らない」
「自分を丁寧に扱うことがよく分からない」
「分かってても今はそんな余裕ない」
…そんな時があっても良いと思うのだよね。
どんなあなたも
どんな私も
いつもまる。
あれから2年
ここにきてやっと、時が現在に追いつきました。
あれから約2年、私は今でもブラデリスの下着を使い続けています。
無料で身体と下着の様子も見てもらえるし、無料で下着のお直しもしてもらえるし、ここまでに書いた気づきもぜーーーーんぶ、今の私の中にあり続けているから。
たかが下着、されど下着。
人に見せるものでもないどころか、自分の目に入る時間もそんなに多くはないもの。
でも、ここを変えると色んなことが変わるかもしれない。
まずは下着を手洗いしたり、長らく買い替えていなければ新調してみるなど、ちょっとしたことからどうですか?
私がここまで書いたお話し、何か心にくるものがあった人はぜひこちらの漫画も読んでみて!
あえて全くレビューしないスタイル。私の好きな漫画です。
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