私と同い年の作家さん。
デビュー作『元彼の遺言状』は、よく本屋さんでも平積み?平置き?されていて。
気になりながらそのままにしていたけれど、文芸評論家の三宅夏帆さんが新川さんのエッセイをおすすめされていたので読んでみました。
新川さんが描く感情には、「わかる」と思うことが多かった。一方で、彼女の体験・経験そのものは私にとっては未知のものが多く、知らない世界を覗かせてもらった感覚。
特に好きだったのはやっぱり、作家としてのお話しの部分でした。
他の編も読みたいなぁ。

自分の言葉を外側に向けて発信するのって、緊張するし、怖い。
言葉を世に放つことで、意図せず誰かを傷つけたり、自分自身が傷つくことだってある。
けれど結局新川さんの言うように、言葉にすることで「世界への信頼が回復される」という旨みが大きいから、私は書くことが好きだし、やめられないし、他人にもおすすめしたいのかもしれません。
たとえ世界への信頼が回復されなかったとしても、
【勇気を出して想いを言葉にする、思い切ってその言葉を自分の外側に出す】という作業を通して、自分への「ありがとう」や信頼は確実に積み重なっていくのだから。

私がマッチングアプリをしていた時にすっっごく感じていたこと。
まさか、こんな私とは別世界を生きている方と同じような感情を抱いたことがあるなんて。
マッチした相手から「好きなタイプは?」と聞かれて、「私を消費しない人。」と答えていたことがあります。
そんな事をして相手をふるいにかけていた私は、それはそれは滑稽な女だったことでしょう。
けれど、当時はそれくらい切実で必死だったのだ。
私を消費しないで。
そう思うわりに、私は相手のことを消費してはいなかったか。答えを有耶無耶にしたくなる思い出もあるけれど、一応の願いとしては、「相手のことも消費したくない」と心から思っていたつもり。
この大量消費社会のなかで「消費したくないし、されたくない」と強く思うのは、ただ意地を張っているだけなのかもしれない。
消費することもされることも許す。
そのくらいの感覚で生きていく方が、なんならこんな事を考えもせず、気付きもせず生きていく方が賢い気はしてる。人間として優れている気もしてる。
…なんて、読んでいるうちにお得意のセンチメンタルモードに入りました。というご報告でした。
私は、新川さんが書かれていたこの話の続きの展開も好きなのです。
気になった人はぜひ本を手にとってみてください。
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