腫れ物になった「普通」

最近、「普通」という言葉の使い方に、とても気を遣う人が増えた気がする。
もちろん、私もその一人。
「ちゃんと」って言葉もそうかもしれない。

星読みのセッションをしていても、ただの会話をしていても、
「普通はこうなのかもしれないけど、……まぁ普通なんてあってないようなものだけど~~」
なんて喋っている。

「普通」って言葉を使う時は、「普通」を否定する言葉もセットにするのが、ここ数年の私のお決まりの流れ。
そして、私の周囲でもそんな人たちが多い気がする。

これは、多様性を推し進めている時代のおかげ?弊害?
どう感じるのかは人それぞれ。

ちなみに私は 「おかげ」派です。多分。

「普通はこう」
って誰かに言われたとして、それに反論できなかったとしても、
「普通ってなんやねん。時代遅れ乙。」
と、心の治安を保てるようになって嬉しいのだ。

でも、話を戻して、最近の「普通」への過敏な対応って何だろう。
それだけ「普通」に疑問を持ってきた人、苦しめられたきた人が沢山いるってことなのかもしれない。

なんだけど、よく考えたら「普通」に助けられてきたことも何度かあるはずなんだよね。

「普通はこうだって言われるのって窮屈だ。」と言いながら歩んできたこの人生に、どれだけの「普通というレールがあったおかげでできた事」があったんだろう。

でもやっぱり、「普通」に苦しめられてきたし、「普通」を押し付けたくないのも事実。


結局、都合よく「普通」に飲み込まれたいし、都合よく「普通」を邪険にしたいのかもね。


私はこの後も
「普通はこうなのかもしれないけど、……まぁ普通なんてあってないようなものだけど~~」
と言い続けるんだろうけど、「普通さん」にちょっと謝りたくなった朝でした。

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この記事を書いた人

ちぃ 島根出身 兵庫県在住 91年生まれ

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