沢山本を読まなければ「良い文章」は書けないのか

いい文章を書くには、本を沢山読むことが大切だと思われてる節があるよね。

それに関して私が思うのは、「まぁ本は読まないよりは読んでいた方がいい」というだけであって「沢山本を読まなければ良い文章が書けない」わけではないな、ということ。

あって損はないけれど、必須でもない気がする。

だって、沢山読書をしてても書くことは苦手な人を私は知っているし、 あんまり読書はしないけど、思い溢れる文章を書ける人だって知っているから。

…なんて書き出しから始めると、あたかも私が超良い文章を書ける人間だと言っているみたいで超気まずい。
気まずすぎて、この記事書いたの去年の10月なのに、今やっと世に放てた。

でも、「自分の気持ちをうまく言葉にできない」「文章を書くのが苦手」って思う人の肩の荷が少しでも軽くなったらなーって思います。

目次

私が触れた文章たち

ブログで好き勝手お喋りしている私自身、本との関係性をどう築いてきたかというと。

ごめん、本はまぁ読んでいたよ。

けれど、本と言ってもファッション雑誌や美容雑誌、漫画、それからスマホやネットに多くの時間を支配される10代~20代を過ごしていました。

特に高校以降に読んだ本だと、実用書や新書、自己啓発的ものなど「物語ではないもの」がほとんど。 15年くらい、「小説は年1、2冊読むかなぁ…。」という日々を過ごしていました。 そして結局、これらよりも雑誌や漫画に触れてる時間の方が圧倒的に長いのだ。

何かしらの「書」に囲まれてる人生ではあるけれど、普通に考えた時に「文章力があがりそうな本」に触れてる時間はそこまで多くなかった気がする。

「文章力」の二方向

文章力というものの定義に 「分かりやすく、読みやすい、構造の整った文章」 「想いのこもった文章」 という二つの方向性があるとしましょう。

私の場合は、前者…つまり、文章を書くうえでの「超超基本的な構造や語彙力」は、たしかに読書によって知らぬ間に身についた…気がする。
いや。もしかすると、高校時代の国語(現代文)のおかげの方が大きいかもしれない。

けれど後者の「想いのこもった文章」を書く力については、あまり本は関係ないような気もしているんだよね。

思いのこもった文章には欠かせない、「自分の気持ち」はノートを書くことによって掘り起こされたものだし、 密かに好きって言ってもらえることの多い「私特有の言葉選び」のルーツは、本ではなく邦楽、何かのキャッチコピー、ファッション雑誌のコーデ解説…あたりから来ている。

特に邦楽の影響はでかい。 歌詞はいいぞー。
語尾の一音で世界観がガラッと変わるし、韻を踏んだり、リズムがあったり、比喩や抽象表現も沢山あるし、あの短文中に伏線とその回収があったりと、歌詞を読んだり書き写すことにはすっっっっっごく夢中になった。

そして何より、他人に見せる見せない関係なく、文が整っているか、綺麗な言葉かどうかなんて関係なく、とにかく「書く」ということを、ずっと続けてきた。
細々と、何十回も休みながら。

誰に届かなくとも、心のモヤモヤを、自分が自分である事の苦しさを、吐き出したかったから。

言葉の在り処

そんなルートで言葉や文章に触れてきた私なりに思うこと。

「文章力をあげるには本を読め」と巷ではよく言われてるけど、「私らしい言葉で表現する」には、本を読むだけでは足りない気がするの。

むしろ、読書量の多さが足を引っ張ると思うこともあるくらい。
漢字が沢山でとっつきづらくなったり、文語表現多用しすぎてかっこつけてるように見えたり、綺麗な文章を作り上げることに一生懸命になって、温度が感じられないものになったり。

だから、本を読めばいいってもんじゃねーんだ、きっと。

私たちの日々には沢山の言葉が溢れていて、本はもちろん、広告、歌、動画、誰かからもらうメッセージ…と色んなものがあるよね。

無感情の読書量を増やすより、生きる中であなたの心に突き刺さって抜き落とせなかった、その一言を大切にしてほしい。

そして日常で心揺さぶられた瞬間の気持ちを、短くても拙くてもいいから言葉にしてみることも、試してみてほしいなー。

それらが自分の中に沢山積み重なることで、あなたの感性が出来上がり、あなたにしかできない表現が生み出されるのだ。

本を読まなければ始まらない。
そんなことはない。

誰かの言葉に感動できる心がある人は、誰かを感動させる言葉を紡げる人。

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この記事を書いた人

ちぃ 島根出身 兵庫県在住 91年生まれ

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