言葉は顕微鏡

自分の想いを言語化することって、顕微鏡で物を見ることみたいだなって思う。

自分の心をプレパラートにして、言葉という顕微鏡でその詳細を見る。

ただただ「なんだかモヤモヤする…」と思っていた心が、嬉しさや哀しさ、期待、安堵、違和感…もっと色んなもので構成されていたって分かる。



「分かる」と人は安心する。

もしかしたらそこには「世紀の大発見」もあるかも。



でも、理科の実験で初めて顕微鏡を使った時って、 「見たい物置いてレンズはめればいい感じに見えるんでしょ」 と思ってたんだけど

まずはプレパラートすれすれに対物レンズを近づける、だけど近づけすぎるとカバーガラスが割れる。

とか

レンズの倍率が合っておらず、上手く見えなくて交換。

とか

そもそもプレパラートの準備から手間がかかる。

なんて事があって、

「なんだよこれ、めんどくせー!!!!!」

って叫びたくなった思い出。



言語化っていうのはこんなところまで顕微鏡と一緒で、 「言葉にしよう!」 と思い立った次の瞬間に 「わあ!今の自分にピッタリの言葉が次々と溢れ出てくるー!」 とは案外ならなかったりする。

はじめから簡単に、プレパラートにした「心」を鮮明に見ることは、無理。

もし、 「言葉を使って考えたり、文章を書くことは才能やセンスの問題だ」 ってしょんぼり諦めてる人がいるのなら、そんな事ないよ!練習だよ!って言いたい。

言葉にするって、想像以上に泥くさいもの。

だけどきっと、想像以上に楽しいもの。

まずは、日常に転がっている「」「」「」…色んな気持ちを採取して。

」の中身はどんなものが詰まっているのかな?
この「」は何で構成されているんだろう?

もっと知りたくなったら、言葉という顕微鏡でその気持ちを覗いてみてね。
レンズには、頭の中じゃなくてノートを使う方が、照準が合いやすくておすすめ。

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この記事を書いた人

ちぃ 島根出身 兵庫県在住 91年生まれ

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