小さなチャレンジを積み重ねて

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先日、お友達のえみちゃんとインスタライブをさせてもらいました。



ライブの中では、「小さな挑戦をしてみることが大事」ってことなんかを話した。

普段から私の発信をよく見て下さっている人なら、これはライブだからと突然言い出したことではなく、日頃から私が大切にしていることの一つだって、知ってくれているはず。

今日の記事は、私がここ数年で積み重ねてきた「小さな挑戦たち」について。

何歳の挑戦から書き始めようかと考えたけれど、私がしっかりと自分の意思を持ってチャレンジできるようになってきたのは、息子が誕生してから。
ということで、私の25歳から32歳の一部までを切り取ったお話しになります。


私の挑戦を、ちっぽけだと思う人もいるでしょう。
どこかご自身と重なると感じる人もいるかもしれない。
もしかしたら、すごいなぁと思う人も?いる?かも?

けれど、どのような立場の人にも何か伝わるものがあるように、と思って書いたよ。

えぇ。長いです。

そして、今日の更新の時点でまだ途中です。
これは前編後編に記事分けた方がいいな。

目次

人生3度目の心療内科

息子を出産してから、軽めの産後うつに。

大学時代にも一度うつ(軽め)を経験しているし、基本的に人生は哀愁と絶望とともに生きてきた私。
息子を出産した翌日から、「これ、そのうち私病むわ。」と確信。

そうならないためにできる限りの対策はしようと、まずは何かあった時、もう無理だと思った時のための息子の預け先の確保。
生後2か月以降は24時間いつでも一時預かり可の保育園3つと、デイサービスのある乳児院1つに見学に行って、それぞれの場所に時々一時保育をお願いしていました。

けれどそれだけでは限界が来て、息子が生後5、6か月頃には診療内科へ行くことに。

しんどい中でもまだ動ける、まだ正常な判断ができている今のうちに。
子供を傷つけたりするような事があってはならないから、とりあえずは薬をもらった方が良いだろう、という気持ちで。

息子の預け先をいくつも探したことは、「できない事を認めて次の手を打つ」というチャレンジ。

診療内科は3度目とは言っても、自分に合っていそうな病院を探してそこへ向かう事も、飲まなくて良いなら飲まずにいたい薬をわざわざもらいに行くことも、チャレンジでした。

人生3度目のカウンセリング

薬は症状に対してすぐに対応できるのが良いところ。

だけど薬を飲み続けたって、現状や、自分の生き方考え方が変わるわけでもない。

相性が合う人とのカウンセリングの時間は、とても有意義なものになる。

カウンセリングしてもらえる場所を探そう。

いい加減、私は私のために生きられるようにならなくちゃ。

この世で一番大切な存在を、健やかに育んでいくために。

このアイディアを、どうしよう

私にはそれまでにも、中学~大学の間に4人のスクールカウンセラーさんとお話ししてきた過去があります。効果を感じたことがあるからこそ、思いつけた一筋の光。

ただ、カウンセラーさんはプロとは言っても結局は人間同士。そして、少しずつ流派も違うから相性がある。

また、カウンセリングはある程度の期間続けないと意味が無いという事も、経験を通して分かっていました。
けれど、折角相性の良いカウンセラーさんに出会えても、異動などで新しい人に代わってしまうことも多いのだ。

そのうえ、もうどこの「スクール」にも所属していない私。
どう頑張って探しても、1回である程度の金額がかかってしまうカウンセリング。
自分の状態に合わせて長い目で見て通いたいけれど、これじゃあ厳しい。
それまで“無料”で利用させてもらえていた“スクールカウンセラー”という制度に、改めて感謝をしたのもこの時でした。

相性の良いカウンセラーさんと、時間をかけてやっていきたい!!
無料 or 少額で!!(大事)

と願い始めてわりとすぐに、閃いてしまった。

「スクールには所属してないけれど、今の私は“母親”ってカテゴリーに属してるじゃん?」

心理士さんのカウンセリングとまではいかなくても、無料で話を聞いてくれる存在があったはず。まずはそこからだ。

なんて思っていると、突然区の保健師さんから電話が。

実を結んだ「助けて」

息子の4ヶ月?健診の時。

私をマークしてくれますように!

と願いながら、質問用紙の「つらい」「頼れる人がいない」といった項目全てに丸をしたことが功を奏したらしい。

保健師さんからの電話は、「子育てが辛いと書かれていたけど、どうですか?」というものでした。
健診からけっこう日が開いてたから、そんな事すっかり忘れていたわ。


運が良かったのが、担当保健師さんのお話しの聞き方、提案してくれる事が私と相性が良かったこと。
その日から彼女には、何度も助けてもらいました。
「もう無理ぽよ」と思った日の朝電話をかけたら、午後は何も無いからと家まで駆けつけてくれたことも。



そんな信頼している保健師さんに、カウンセリングのことも聞いてみた。
そしたら! 区役所に!無料のカウンセリングが!あった‼‼


ただこちらのカウンセリング、実際に受けてみると月1でしか予約を入れられない。
それから、「こちらが話す→とりあえず肯定してくれる」という感じが私の求めているカウンセリングと違って、少し物足りなさを感じてもいました。

なのでその頃は、

・月1で区役所のカウンセリング
・担当保健師さんにたまに話聞いてもらう
・市や施設が行っている、母親や女性向けの電話相談を数か所利用

という感じで回していて。

話していて1番気持ちが軽くなったり安心感を得られるのは保健師さん。

だけど彼女には他の業務も沢山あると思うので、ひとまず色んな「話を聞いてもらえる場所」を必要に応じて利用していました。

完全に満足するわけじゃなくても、人に話す、傾聴してもらうって大事。
たとえ100点満点じゃなくても、今の私を受け入れてくれる場所に感謝して、使えるものは使っていこう、そんな気持ちでした。

言いたかったことは

ここでひとつ。

このブログのテーマ、何だった?笑

そう、「小さな挑戦」の話。
一見話が逸れてる風味かもしれないけれど、

私にとっては、

・カウンセリングを探したこと

・健診での質問に正直に答えたこと

・保健師さんを頼らせてもらったこと

・相性が良いか悪いか分からないけれど目の前に来てくれたカウンセリングにトライしてみたこと

・相性が良いか悪いか分からないけれど電話相談も使ってみたこと

どれもがほんのり勇気がいる、「小さな挑戦」でした。

「小さな挑戦」って、こんな事で良いの?

「質問に正直に答えてみる。」こんな事で良いの?

そう!そんな事で良い。

それが何かに繋がっていくんだから。

繋がっていく、小さな一歩

その後、デイサービスで利用していた乳児院の保育士さんたちとも少しずつ仲良くなっていき、お迎えの時に色々お話しをするようになっていきました。

そのなかで、

ここは子供を預かるだけじゃなくて、お母さんが話して楽になる場でもあるから、何でも話してね。

と言ってくれた保育士さんも。

彼女に色んなことを話しているうちに、

ここの乳児院にも心理士さんがいるから、
良かったら話してみる?


と言ってくださいました。こんな近くにもカウンセリング環境があったなんて!

そうして私は、人生イチ相性の良い心理士さんと出会うことができたのでした。
否定せず傾聴してくれるというベースとともに、ポイントポイントで「どうしてそう思うんですかね?」と問いかけてくれる。

ほっとするだけじゃなく、“効果”をすごく感じるカウンセリングの時間。

「これだーー!」

「終わらせる」チャレンジ

カウンセリングの回数を重ねていったある日。

私のこれまでカウンセリングでの、「相性が悪くて続かなかったり、相性が良くても異動等で中途半端に終了してしまった」という経験をふまえて

このカウンセリングで、
「自分で終わらせた」
という経験をしてもらえたらいいなと
思っているんですが、どうでしょう。

ということを、心理士さんが提案してくださいました。

この提案は私にとってもありがたいもので、結局完全にカウンセリングを終えるまでには3年程かかったはず。

はじめの1年ちょっとは週1で。
コロナ禍では、電話でカウンセリングをしてもらっていました。
徐々に2週間に一度…と間隔を少し開けたりもして、時間をかけて、心理士さんと二人三脚で「終わり」にたどり着きました。

とても信頼できる方だったので、いつも安心してお話しはできた。
けれども自分の胸の内を洗いざらい他人に明かすことも、週1で神戸の坂道の洗礼を受けなければならないことも、「自分で終わりを決める」ことも、全てがやっぱりチャレンジだった。よ。

何かを「始める」だけじゃなくて、「終わらせる」事もまた挑戦。

※カウンセリングは、「洗いざらい自分の事を話さなければならない場」ではないです。私自身が洗いざらい話すことを選択しただけ

 自分のために「書く」ことを思い出す

先程の心理士さんとのカウンセリングが始まって4、5か月程経った頃かな?

一生カウンセリングに通う訳にもいかないし、自分で自分にカウンセリングもどきをできるようになると良いよなぁ。

と思うようになりました。

で、何をどう検索したのかは全く覚えていないけれど、こちらの本を発見。

特に挑戦したいことはないんだけど、今の私のできる事、したい事にも使える気がするな。
気軽にできそうだし、ひとまず本を読んでやってみよう。

とトライすることに。

あれから6年以上経って、今「すごろくノート」の方法で気持ちを書き記すことは、正直あんまりないの。

だけど、この本で教えてもらった事って、今の自分の脳内の整理、物事の捉え方、自分や他人への声かけに生きてるなと思うことも多々あって。
それに何より、

本来私は、日記や物語や、何かを書くことをよくしていた。
(ただし、気分が乗った時に限る。)

ということを思い出させてもらいました。

ノートとか日記とか書きたいけど
難しく考えちゃって続かないし、
だけどもっと自分の気持ちと
向き合いたいし、
ネガティブでぐるぐるするのを
脱却したいんだけど、
何か良い本ない?


って聞いてくれた大切な友人に、この本をおすすめしたこともあります。

内容も実践する時にも難しいことは何もないので、「自分のために書く」ということを気軽に始めたい方におすすめ。

逆に、書くことや自分の気持ちと向き合うのが得意な人、コーチングなどの理論を知っている人が読んでも、「そうやってやるのかぁ。」って面白いところがある気がする。

こうして書いていると、やっぱり今でもたまに「すごろくノート書こ。」と思うのでした。

今夜久しぶりに、書こ。

ちなみに私がすごろくノートを書くときは、こちらのペンで書くのが1番好き。
力を抜いてリラックスして、いつもより少し大きい文字を書きながら、素直な気持ちが溢れ出てくるから。

 役に立たない資格を取りまくる

カウンセリングを続けているうちに、ひとまず心療内科への通院は終えられ、少しずつ少しずつ元気が湧いてきた。
何かちょっとしたことをしてみたいと思った。

子供は1歳、その他今の自分の状況を考えたら、できる挑戦はこれだ。

BENKYOU!!

興味がある分野の←これ大事 勉強をすることは大好きな私。
「役に立ちそう」という動機で勉強を始めてしまうとまた病みそうだったので、意味はなくても、何にも繋がらなくてもいいから、ただ「楽しい挑戦」を自分にさせてあげようと思いました。

もちろん資格に挑戦せずに、「ただ勉強する」でも良かったけど、達成感がほしかったんだよね。
資格って、「合格!」ってわかりやすい結果を得られるから。

今思えば、自己信頼感とか自己効力感を得たかったのかな。

息子が寝てから夜泣きをするまでの、あの勉強タイムは今思い出しても幸せ。

ちなみに私が勉強したのは、

化粧品検定1級

アロマ検定1級

色彩検定2級と1級

色彩検定はいきなり1級受けるのは難しかろう、と2級から挑戦して、1級の2次試験では200点満点で合格したねん。
この話何回するねん。

だけど何回も「誰か聞いてー!すごいでしょ!」って言いたくなる程、本当に嬉しかったんだ。
誰かからすると、「趣味で資格とっただけでしょ笑。」という些細なことかもしれないけれど、当時の自分としては、「ここまで上がってきたぞ。」という気持ちだったから。

今だって、「あの時のあなたすごいよ!」って心から思っている。
たとえそれが、今の自分なら楽々できることだとしても。

挑戦したことを口にする挑戦

次は、「興味があった資格をとってみた」 ということをInstagramに書いてみる挑戦をしよう。

前向きな投稿は誰かをムカつかせるかもしれないし、後ろ向きな投稿だって、誰かをイラつかせるかもしれない。
中学~大学間で、SNS・ネット絡みのちょっとしたトラブル経験を経てそう思うようになっていた私にとって、これもまた小さな、だけどけっこう怖い挑戦。

SNSでは何を書くにしても、もう怖い。例えそれが鍵アカでも怖い。
インスタなら、写真メインで本文は書かなくてもどうにかなるって思ってやっていたのに、そこでわざわざ自分語りを始めるなんて、あー怖い。怖すぎ。
こんな事やらなくても生きていけるのに、なんでまた。

そう思う自分もいたけれど、「意味のない些細な挑戦」にハマり始めている自分を引き止めることはできませんでした。

自分が作った作品をなんとなく載せて、我が子との日常を書く、という当たり障りのない鍵アカに、「私のこと」を載せていく挑戦を開始。

ただ自分が作ったものを載せていたのを▲ 
こうした▼
今見ると、説明なしじゃ何をどう変えたのかよく分からない。
だけど自分の中では小さくも大きい挑戦だったし、この挑戦が、後の私を思いもしない方向へ引っ張ってくれたのでした。

パートを始める

「役に立たない資格を取りまくる」
「挑戦したことを口にする挑戦」
と同時進行で、

「パートをしてみよう」

と思いました。

大学時代のアルバイトは何をやっても苦痛。
親には公務員になれと言われたけど、体調悪すぎて公務員講座の出席は途中棄権。
「今就活したら、働いたら、死ぬ。」と思って一切就活をせず大学卒業。
フルタイム・残業あり、人間関係良好な旅行会社で、毎日吐き気に襲われながら1年のパートをした後結婚。

「一生専業主婦でいるしか道はないな、社会不適合者の私にできることなんてないし。 」

と思っていたわけだから、パートをすることだってまた挑戦。
「子供のため、家族のために頑張る “普通” のお母さん」になりたかったんだと思う。

まぁポンコツすぎる私のことは一旦置いておいて、妊娠出産を経て職場復帰とか、新しい職場を探すことって、大多数の人にとってチャレンジだと思うんだよね。
でも、沢山の人がやっている事だからと、自分の「仕事復帰」や「働くこと」への頑張りをどこか小さく見積もっている人がいたら伝えたい。

それってすごいチャレンジなんだから。

 小さなチャレンジを繋いだ先に

 まだ何章か作れるけれど、これ以上増やすと冗長になりそう!というか、すでになっている。

「小さなチャレンジ」の例はなんとなく書けたと思うので、これ以降の話を簡単にまとめると、

挑戦したことを口にする挑戦をしたことで、周囲の人から資格に関すること…例えばコスメやスキンケアの質問を受けるようになった。

質問に答えると喜んでもらえる。

「自分の好きなことって、もっとしっかり形にすれば、もっとしっかり人のお役に立てるようになる?」
と、個人事業主になることを決めた。

そして、「挑戦したこと」以外にも、自分の思いや好きな事を、鍵アカで少しずつ少しずつ発信するようになったことで、それらを読んだ周囲の人から共感のメッセージなどをもらうようになったり。

個人事業主になるにあたって「アメブロを開設しよう!」と決めるも、鍵アカを飛び出たネットの大海原で、本名顔出しで思いを書き連ねることが怖すぎて一人何度も泣いたり。

だけど、また少しずつ、少しずつ、もっと色んなことを、色んな気持ちを書くようになってから、出会う人が変わったし、出会いそのものも増えた。

とある人からのリクエストで、なんとなくアイドルのダンスを踊っている自分の動画を撮り始めたり。
それを2年程淡々と続けていたら、ビルボードのステージに立てたり。
ダンスを習った事がないのに、アイドルダンスのWSを開いたりもしました。
次は9月19日(木)に! 詳細はこちら

他にも、ここに書いてない挑戦もいっぱいした。

途中にも書いたように、「終わらせる」挑戦だって、何個もした。
始めるより、終わらせる方がきつい事も多いよね。

他人の「平凡な苦労話」ほど嫌なものはないから

さて。

私が思うに、他人の平凡な苦労話って、人類が嫌いなことの上位に食い込む気がする。

私がここまでダラダラと書いてきたことが、まさにその「平凡な苦労話」。

一般人以外の何者でもないし、何か大きな事を成し遂げたわけでもない。物珍しい体験をしたわけでもない。
きっとこの記事を開く人は少ないだろうし、読み切ってくれる人はもっと少ないだろうな、と思って書き始めました。

そして、もしも読み切ってくれる人がいた時のために、なるべく「ただの自分史」にならないようにも気をつけて書いた。

そう、この記事もまた、小さなチャレンジでした。

「挑戦」「挑戦」うっせーわ

そして、自分でこんなに「小さなチャレンジ推し」の記事を書いておきながら、

「挑戦」「挑戦」ってうるせーわって感じ

「挑戦」なのか
「チャレンジ」なのか
言葉を統一しろYO!

と思っている自分もいる。

挑戦っていうのは、心と身体にある程度元気があって、取り組むための時間やお金の余裕があってできることだから、結局私は恵まれてるってことなのだ。

ただ、挑戦している人に対して、「それは恵まれてるからできることなんだ」と蔑みをぶつける人にはなりたくないし、私自身もそんな人とは出会いたくないです。

挑戦が自信となって、自信が人生になる

挑戦ができるのは恵まれている証でもある。

その一方で、ハードルを限りなく限りなく下げれば、誰にだって何かひとつはできるはずなの。

例えば店員さんの「目を見てありがとうって言うこと」。

これ、実際に私がやったことのある挑戦。

ありがとうは必ず言うし、顔の辺りに目線は向けてたけど、どうしても自信のなさや恥ずかしさがあって、相手の目を見れないことが多かったのね。

だからそれを、やめてみよう、と思った。

そして、たったこれだけの挑戦でも、心が温かくなったり感謝が増したり、自信がついたり、店員さんたちの人柄・個性に触れられたりと、気づくことが沢山あった。
ちゃんと目を見る、というただそれだけのことで。

だからこそ、みんなも「自分にとっての」小さな挑戦を積み重ねてほしいな、と思うのでした。
どんな些細なことだって、自分次第でどこまでも広げられるし身にできるのだから。

小さな積み重ねが絶対に自信になるし、その自信で、少しずつ挑戦の大きさを広げていけるようになる。絶対に。

そして、「人生は自分で作れるんだ」って思えるようになってきて、生きる楽しさが少しずつ上がっていくんだと思う。
私も上がってきている途中です。

走り続けないといけないわけではなく、止まることがあっても良い。むしろ必要

自分を諦めないで
自分の可能性を自分で見捨てないでね。

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この記事を書いた人

ちぃ 島根出身 兵庫県在住 91年生まれ

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